句読点の使い方
「モーニング娘。」が日本語を壊した(花岡信昭ウェブサイト)
これはとあるジャーナリストの文章。もともとの話は「」(カギ括弧)の中の文章の最後を「。(句点)」で締めるのはおかしいのではないか…という話だったのですが、なぜか「モーニング娘。」に話を展開してしまい、しかも「歌もへただし、ダンスもひどい、とてもではないがエンターテインメントの領域には達していない…」なんて誹謗中傷とも取れること書いてしまったためにコメント欄がいわゆる「大炎上」という状態になってしまってます。
「モーニング娘。」の歌やダンスに対する評価については人それぞれだと思いますが、そもそも「日本語の乱れの根源」というユニット名付けたのはプロデューサーなんだし、しかも本筋と関係ないところで自分の主観(というか思いこみ?)でもって歌とかダンスを腐しているわけです。彼女らにとっては実に迷惑千万な話です。
まあ、一応自分のブログなんだから書く内容については自分の主観でいい…となるのでしょうが、お世辞にもいい文章とは言えないでしょうね。そもそも日本語の文章の乱れを論ずる文章で「モーニング娘。」の音楽性云々を取り上げる必然性など全くないわけですから。
で、そもそもの発端である「」(カギ括弧)内の句読点ですが、私も小学校では書くように指導されたと記憶しています。原稿用紙を使う時は句点と閉じ括弧をそれぞれ1マスずつ使うように習いました(ただし、行に残りマスがないときに限って同じマスに書く)。もちろん「」内が単語のときとかは「。」はつけません(ただし「モーニング娘。」の場合は。まで含めて固有名詞なので付けているだけ)。
ただ、この文章もそうですが、横書きの場合若干見た目的に座りが悪くなるような気はしますね。かといって複数の文(センテンス)が「」内に入るときに最後の文だけ「。」つけないのは個人的には気持ち悪いのですが。
もっとも、出版業界では「」内の文章の最後に「。」は付けないのが常識のようで(見た目の問題とも活字の節約のための名残とも言われているみたいですが)、この筆者はその「常識」に照らし合わせて論じていたようですが、実際の所は教科書では先述のような指導をしているようですし、どちらが正解とも言い難いようです。すなわち「間違い」と論じること自体が間違いと言えます。
要は出版業界の常識がすべてで通じているとお思いのようなんですね。
ただ、「ジャーナリスト」という人種はどうも自分の誤りを認めたくない人種のようで、自分の間違った思いこみで記事を書いて抗議されたときでもあれこれを言い訳する人が多いのですが、どうもこの人も例外ではなかったようで…。
「。」と「、」と「遷移」
さらに火に油を注ぐ結果になってしまいました…。
こうなるともはや収拾は不可能ですな。
追記:
結局、氏は「モーニング娘。」に関する不適切な記述があった…ということで「一応」謝罪をしています。まあ本当に「謝罪」になっているかどうかについては?ですが。
「モーニング娘。」に関する記述について
もとになった部分についてもリライトされていますが、何か文章がさらに支離滅裂になってるような気がしますね…。
なお、日本の国語教育に真っ向から立ち向かう形になっている「」内の「。」の問題についてはまだ言及がないようです。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント